« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »

2006年4月

2006年4月19日 (水)

しばやんon the site 現場に謙虚であること。

しばやんです。

フィリピンでは、4月13日(木)から16日(日)までHolyweek(復活祭、イースター)のお祭りで、祝日休暇でした。

わたしは、それを機会に、ネグロス島のバゴロド市を中心に、サトウキビのプランテーションを見に行ってきました。目的は、バゴロドの島向かいのパナイ島のイロイロ市の国家灌漑局の友達(そう、例の3人のマリアです)と旧交を温めることと、バゴロドの青年海外協力隊の仲間を訪ねることなど、まあ駆け足ではありましたが、人と会う旅でした。なんか半分仕事だか遊びだかわからないようなところもありましたが。

また詳細は別途報告したいと思いますが、今回、特に強く感じたことは、もっと現場に対して謙虚にならなくてはならないのではないかということです。

ネグロス島は、1980年代の半ばに国際砂糖価格の暴落で、アシエンダ制という大土地所有地主の持つプランテーションで働く、土地なし農民が、特にその子供が飢餓に見舞われ、日本でも、ネグロスキャンペーンとかのNGOによって、封建制による貧困の島として、大々的にメディアで取り上げられたことがありました。

今回の旅は、それを10何年ぶりに検証したいという気持ちがあったこともあります。ビクトリアスという企業というか製糖工場の城下町での、砂糖のプランテーション、柵で囲われたゴルフ場や住宅地、病院、教会まで全ての施設が整った広大な敷地を見てまわったことも感動ではありましたが、それは、在る意味で想定内の話で、わたしの3つの驚きは、以下のとおりです。

①ヴィクトリアスの製糖工場の敷地内にある教会は、「怒りのキリスト」という壁画が有名なのですが、それが極彩色であったこと、壁画の前の梁に、フリーメンソンのシンボルのピラミッドの眼と天秤秤のモチーフがあったこと、フリーメンソンは世界を股にかけたちょっと怪しげな秘密結社という見方もありますが、基本的には技術者集団であったと思います。脱線ですが、昨年の、「ナショナルトレジャー」というアメリカの映画はフリーメンソンを一つの伏線として使っており、フィクションではあるのですが、アメリカという国とフリーメンソンとの関わりについて非常に興味深い内容でした(どこまで本当なのかさっぱりわかりませんが)

②ヴィクトリアスの北の村で、カートホイール教会という観光名所にいったのですが、それが、アシエンダの領主の館の付属の教会であったことと、その教会と領主の館の間に、19世紀後半のイギリス製のボイラー跡があったこと、つまり領主が自前の製糖工場を敷地内に持っていて、たぶんそれは当時にあっては、まさに最先端技術であったであろうこと。今は領主は住んでいませんが、家来というか執事が、屋敷合切を管理していました。屋敷の前には、馬が繋がれて調教されていたようですし、なにか異次元に紛れ込んだような気がしました。

③しかも圧巻は、この館はグスマン家という19世紀末にフランスの貴族が移民してきて、フィリピンの女性と結婚して荘園の領主となったのが起こりで、その屋敷がまさにその建物であったこと。100年以上、ずっとこの館はそこにありつづけているのです。またグスマン氏の子孫たちは、地主として、地方政治家として、バゴロドの茗家として今にいたるまで権勢をもっていること、そして、4,5年ごとに、世界中のグスマン家の子孫が、(アメリカ、オーストラリア、フランス、まさにワールドワイドです)この屋敷で一族のファミリーパーティーを開いているということ。これば偶然、シラエという別の町の歴史資料館の建物をみて、なにかヴィクトリアスの北の村の建物と似ているなということで、その展示資料をみて気がついたのですが、今に生きる歴史を図らずも体験してしまい、思わず唸ってしまいました。

今の現在、地主制なんて封建時代で庶民というか平等であるはずの世界人民の敵というニュアンスで、否定的にとらえられがちですが、果たして本当に、「搾取」や「略奪」だけの社会であったのだろうか、中世や近世は暗黒時代でしかありえなかったのだろうかということを考えざるを得ません。

‘ポストコロニアル’とか’オリエンタリズム’という言葉を知るということは、社会科学をかじった人間にとっては、まさに常識の話なのですが、果たしてわれわれは自分の言葉でその実態を語る事ができるのだろうか。どこかの誰かがいった権威の言葉をなぞって、わかった気持というか気分になっているだけなのではなかろうか。

わかったつもりの古典的な学術用語こそ、自分の体で、身体感覚としてとらえなおす必要があるのではなかろうか。

そんなことを改めて感じた今回の旅でした。

ではでは。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年4月12日 (水)

’仲間’という言葉をめぐる雑感

歩く仲間というHPを運営しているわけであるが、ふと、この‘仲間’という言葉について振り返ってみた。

仲間には、老若男女の区別がない。親兄弟、親族、同朋、友達とも違う。なぜ、歩く‘仲間’でなければならなかったのであろうか。

この仲間という言葉には、非常な原体験がある。大学1年生の時、正確にいうと大学1年の冬の2月か3月の上旬のことか、アラビア語も留年しかけて、バイト生活にも、クラブにも人間関係やただ単に自分の努力や能力のなさに、いろいろ投げ出しかけたことがあった。当時、11月に新人戦があって、12月頃から2月の末までオフだったのだが、2月にほうほうの呈で、なんとか主任教授に頼みこんで2年生への進級を目こぼししていただいた身としては、もうやけで、ええい、ヨット(競技)部なんてやめてしまえ、と思っていた。

毎週、金曜日の夜から日曜日の午後まで、合宿ばかりの生活。アラビア語は外大でも難しいほうの言語で、1年生から専攻の授業があって、しかも容赦なくできない人は留年させられていたので、1年を経たずにくじけかけていたのである。しかも3月の上旬から始まる極寒期の海での毎週4日間の春合宿は、まさに1年生にとっての非常な試練となった。

そんなときに、自分の下宿でくすぶっていたら、ヨット部の同期のH君が、わざわざクラブをやめないように説得にきてくれたのである。いろいろな話をしたと思うが、忘れられないのが、「一緒に最後まで続けようや。仲間じゃん。」

1989年だったと思うが、18歳の私は、さすがに‘いまどきこんなにくさい言葉をいえる人間がいるものか’と妙に驚嘆した覚えがある。つまり、古い例であるが、武田鉄矢の「3年B組金八先生」は、まったく何の利害関係もない大人や子供は純粋に楽しめるが、当事者である中学生によっては、偽善に満ちたうざいものでしかないといった感覚である。青春学園ドラマじゃないのだから、真剣に、’仲間’を語る友人に素直にびっくりした。

しかし、その‘仲間’発言によって、クラブをやめるのを踏みとどまったのは事実である。たぶん、このときから、‘仲間’という言葉が、自分の奥深くで、特別な言葉になったような気がする。

ところで、宮本常一も、‘仲間’という言葉を好んで使っている。それを知ったのも、歩く仲間のHPを立ち上げてしばらくたった後のことであった。

P.S.

蛇足ながら、大学を卒業して15年近くも経つ今、思い出すのはクラブでの辛い?思い出ばかりである。今でもたまに大学を単位が足りなくて卒業できなかったという結論の夢を見ることがある。目がさめて、なんで東京にいるんだろう、ちゃんと仕事をしているよな、つまり大学を卒業できたということだな、と何度、改めて安心したことか。

決して過去を美化するわけではないが、このヨット部で一緒にがんばった5名は今でも同期会でとても盛り上がるし、ヨット部のOB会自体が非常に結束が固く、社会人になってからは、その恩恵というか、その重要性がますますわかってきたと思うし、それぞれのOB/OGの一緒に合宿をして励ましあってきた仲間意識が、根底で支えている共同体であることを最近、よく感じる。

仲間とは、究極的には、ミッションを共通にする目的集団である。歩く仲間の呼びかけ文でも書いているが、「同じ方向へいくようであれば、しばしその間だけでも、一緒に歩きましょう」ということで、しがらみだらけの親族でも友達では決していない。方向が異なってくれば、自由に袂をわかてばよいのである。また会う機会があれば、また一緒に歩いてみる、みっとひらたく言うと人は、人間という友達関係の中で、目的に従って、いろいろな‘仲間’関係を取り結びながら、個々の人生を豊かにしているのが、この世の中ではないのだろうか。

仕事に貴賎もないとよく言われるが、出自の差別、区別もあってならないと思うし、それぞれの夢や希望についても、その大きさをうらやまず、逆にささやかさに対しても決して軽がるしく考えない。ひとりひとりを尊重する社会であって欲しいと思う。あなたの夢も、わたしの夢も等しく、それぞれにとって重要なことで、自分としては、できれば、もっと‘ささやかな’夢をみる人たちと共に歩きたいと思う。

よく言われることであるが、人はひとりでは生きられない。なるべくなら、人をいじめたり、傷つける側ではなく、いじめられてはいても、搾取されてはいるかもしれないが、それでもホンのささやかな幸せとよりよい明日を信じてがんばっている人たちの‘仲間’でありたいと、わたしは思う。

ではでは^^!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月10日 (月)

10日遅れの誕生日会!

さて、今日の昼食は、某役所で誕生日会をやっていただきました。官民接待ではないかを思いきや、フィリピンの誕生日会は、誕生日の人がスポンサーで、親族、郎党、友達みんなが集まってその喜びを分かち合うというのが習慣で、しっかり21名分のランチを振舞わせていただきました。

たぶん、3分の一は、顔しかみたことないよなと思いつつも、お誕生日おめでとうと言われると悪い気はしませんよね。ただ、How old?と聞くのを、しっかりHow young?に修正させていただきましたが^^!

フィリピンの誕生日会で欠かせないのが、パンシットという焼きそばみたいなおかずで、長く長く生きますようにという願いを込めているそうです。

でも、日本では、誕生日会って、もっとささやかなこじんまりとしたものですよね。せいぜい家族で祝ったり2,3人で集まったりはしますが、誰でもウェルカムというこちらのスタイルはちょっと驚きです。

もっというと、こちらの役所は、月に一度、同じ部署の誕生日の方々をまとめて、半日つぶしてお祝いする部署もあるし、(ボスによる)、もっと上のクラスは、役所の全員を呼んで誕生日会をしたりなんかもします。営業職に、クライアントの誕生日の把握は欠かせません。本当に、お祭り好きのフィリピン人の一端をみたようなランチパーティーでした。

P.S.

ちょっと後悔なのですが、えらい人も出席いただいていたので、一言スピーチしてもらえばよかったと思います。答辞と返礼みたいな感じで。本当に、こちらの人はスピーチがうまいんですよね。もしかしたら、振られることを見越して、スピーチを何気に考えていたのかもしれない^^?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 9日 (日)

歌と踊りから入る国際理解

みなさま、いかがお過ごしですか。

先日(といっても3月23日ですが)、マカティのRCBCプラザの劇場に、東京外国語大学のフィリピンフォークダンスクラブの海外公演を見に行ってきました。もう、10度目になるとかで、日本人のフィリピン語を学んでいる方々(学生、院生)のプロ顔負けというかフィリピン人もびっくりの民族衣装をまとったフィリピン芸能を、存分に楽しんできました。

東京外国語大学はしばやんの大学の姉妹校にあたります。大阪外大のフィリピン語科にも、フィリピン舞踊のクラブがあるそうですで、たぶん11月の「間谷祭」(大学祭)や、近所の催しで、その芸を披露しているそうですが、いかんせん、しばやんの大学時代は、間谷祭のときは、大体クラブの新人戦のころでトンとご無沙汰でした。

さて、フィリピンは、本当に歌って踊っての世界で、大体、どんな片田舎にいっても飯屋には、KTV(テレビ付きのカラオケマシーン)が食堂の片隅に鎮座し、昼間からサンミゲルビールを飲んで歌っている、しかも誰もが結構うまい、人たちなので、そのエンターテイナーとしてのセンスは疑うべくないのですが、改めて伝統的な歌と踊りをみて、その豊饒性に目を開かされました。

しばやんも、以前から、「歌って踊れる」コンサルタントになりたいと宣言してきましたが、まさにフィリピンはよい道場になりそうです。

歩く仲間に、写真をアップしておきますね。

これからは、フィリピンにかかわる情報も、適宜アップしていきたいと思います。

ではでは。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年4月 1日 (土)

Long Way to Go!

みなさまお元気ですか。

しばやん@マニラです。

忙中暇ありとはよくいったもので、確かに忙しいのですが、最近その反動か、『歩く仲間HP』をアップデートしたり、このブログのデザインをいじったりしています。

ところで、今日はわたしの誕生日です。3度目の干支の誕生日になります。

最近、同世代の仲間と話してよく話題になるのが、自分の気持ちと周りのみる目は違うよねということです。つまり、わたしは東京時代から「若手会」とかいって開発関係のコンサルタントや援助機関や、はたまた大学生、院生らの仲間と、わいわいと懇親会とかやっていたのですが、自分では、‘若手’といっていても、客観的にはすでに中堅なんですよね。同年代で既に独立して社長をやっているコンサルタントの仲間もいるし。かくいうわたしも肩書きはともかく海外事務所を預かっているわけだし。

でも、初心というか気持ちの若さは、いつまでも保ちつづけたいものです。

自分では、結構やっているなと思っても、まだまだ世の中、がんばっている人っていくらでもいるんですよね。がんばることだけが価値観ではないことは十分わかっているつもりですが、どんな小さくみえるような分野にも先達がいる。

人生、いつまでも無限ではないし、大人らしく分別くさくなったり、別に小賢しくなるつもりはまったくありませんが、仕事もいいけど、ライフワークみたいなものにも、少しずつでも取り組んでいけたらよいなあと思います。

ではでは。

『歩きながら考える』アップデートしました^^!

「ブームの宮本常一 『旅する民俗学者』を手にして』

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00030.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »