<ついに完成!歩く仲間ブックレット第1弾> 増刷しました。

<ついに完成!歩く仲間ブックレット第1弾>


2013年11月30日の国際開発学会での口頭発表にあわせて、『われわれの物語を創るために 開発民俗学研究序説』を刊行しました。(2017年6月9日に増刷しました。)

ご希望の方には、謹呈させていただきます。メールでお問い合わせください。
※海外に在住の方には、PDFファイルでの提供になります。詳しくはお問い合わせください。

ではでは^^? 柴田 英知 2013年12月2日 (2017年6月16日 加筆修正)


20131130
P5


下記に、まえがきを転記します。ご高覧ください。

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ひととひとをつなぐことによりモノと情報が流れる
-まえがきにかえて-

知は力なり。そしてそれは開かれたものでなくてはならない。(柴田英知 1991)
ただし、その裏書として、
「「他人の気持ちがよくわかる人」は誉め言葉だが、わかった気持ちを弄ぶことができるのもそういう人。」(現代会社の基礎知識 中川いさみ『大人袋③』小学館 1998 159頁)

 本著は、わたくし柴田英知の『アラブ・イスラーム学習ガイド 資料検索の初歩の初歩』 シーシャの会(1991)に続く2冊目の著作となる。1970年生まれ、新人類といわれた団塊ジュニアの世代である私が1992年3月に大阪外国語大学(現大阪大学)外国語学部アラビア・アフリカ語学科アラビア語専攻を卒業し、株式会社三祐コンサルタンツという農業・水資源・地域開発の専門民間開発コンサルタント会社で、東京をベースに12年間、2004年3月より2008年6月までフィリピンのマニラ駐在員として政府開発援助(ODA)の現場で、歩きながら考えた‘世界’と‘開発’についてのささやかな論考である。

 ようやく仕事に慣れ始めた30歳前後から自分(達)のやっていることについての疑問や迷いが生じるなか、ひょんなきっかけからホームページを開設し(2000年3月18日)、「歩きながら考える」というエッセイと並行して「開発学への途(のちに開発民俗学に変更)」という連載をホームページ上で展開することとした。

 また同時に、会社の名刺とは別に、「歩く仲間」の名刺をもって、武者修行のためNGOや学会のセミナーや勉強会に他流試合にのぞみ、若手会という同世代の開発援助関係者(開発コンサルタント、政府関係者、NGOスタッフ、大学(院)生)などのインフォーマルなネットワークの世話人などをさせていただいた。

 この東京での経験は、マニラに駐在した際に、邦人駐在員のODA関係者とNGO関係者、留学生や在フィリピン研究者による「フィリピンで開発を考える勉強会」の発足にも活かすことができたと思う。

 私は、学問的には、アラビア史の前嶋信次先生、民俗学者の宮本常一先生、イスラーム史、インド洋交易史の家島彦一先生の研究スタイルと、その合わせ鏡として、裸足の研究者鶴見良行氏とルポライターの鎌田慧氏の現代を見る眼から多くを学んできた。(注1)

 今回は、なぜ私が、「開発民俗学」というものを考えざるを得なかったのかについて、いささか個人の内面の吐露的な‘主観的’な論考を中心に取り上げた。しかしながらこの主観的なるものも、世界中の多くの先達や仲間との対話の中から生まれたもので、「歩く仲間」と一緒に議論するなかで、みなで創ってきたものであるともいえる。

 さて、ここで簡単に「開発民俗学」の志を述べたい。もとよりこのような学問分野は、寡聞のかぎりでは、現在、日本には存在しないと思われる。(石川鉄也氏が、『山を忘れた日本人 山から始まる文化の衰退 彩流社 2010 にて「開発の民俗学」を提唱されているが異なるものと考える。)

本文にも収録されているが、私の文章を引用したい。

「ところで、学問として開発人類学というものがある。この人類学にはいろいろな分類があるのだが、その別称として‘民族’学という言い方がある。この民族学とは、外部世界の見聞を自分の世界にもってかえって、同国人の気づきを促すという効用をもっている。今までの歴史上では、これは先進国の研究者が、未開な地域を訪れて、そこで収集した経験(事物も含む)を自分および自国民のために役立てるというケースが多かったのだが、私は、逆に、外部者として私たちが介入することにより、現地に住んでいる人たちの気づきをうながし自分たち自身のことを自分で研究してよりよい世界を自分たちで創造していける、そんな、開発‘民俗’学というものがあってもよいのではないかと考えるようになった。

 この日本語に特有の「民族学」と「民俗学」という2つのミンゾク学は、実に示唆に富むと思う。この日本語にいう「民俗学」は、柳田国男にいう、いわば日本文化の元の形(基層文化)を探るという側面があるのだが、それだけではなく、宮本氏のいう、実際に生きている人たちの生きる糧となるような学問のあり方、自分の足元を知ることにより、日々の生活をよりよいものにつくり変えていくという‘実践の民俗学’という側面もあると思う。

 つまり外部者として、(途上)国に入ることにより、現地の人たち自身の郷土への関心を呼び覚まし、彼らが‘民俗学’を自分の地で実践することにより、内部から社会を変えていくきっかけをつくる。この民俗学の主体は、当然、彼ら自身である。そんな開発‘民俗’学を創っていきたい。かってな造語だが、そのようなものがあってもよいのではと、最近考えるようになった。」 柴田英知 「開発‘民俗’学の構想」(2003年11月3日)

「「つまり、書くとは「過去の事件や現代の人間を描いたりしながらも、けっしてそれで完結するものでなく、現代をテコにしながら、未来をこじあけるものでなければならない」し、そこには「批判と変革の志」がなければならない、ということ。」(鎌田慧の取材姿勢について、吉岡忍が要約したもの。吉岡忍「解説」 鎌田慧『ルポルタージュを書く』 岩波同時代ライブラリー 1992 221頁

これを私なりにもじると「開発民俗学とは、現代の問題から出発するにせよ、過去の歴史に謙虚に学び、そこに住む人たちと未来を創造していくものである。」って言えたらかっこいいなあ^^!」 柴田英知 「封建領主は、単なる‘悪の親玉’なのか!」(2006年12月1日)

「ひるがえって、‘開発民俗学’が求めるものは何か。それぞれが生きる場としての地域に戻って(立って)、それぞれが最もふさわしいものを自らが選び取っていく、そのためには自分の足場を考える地場の‘民俗(学)者’が育たなければならないし、彼らが地域のリーダーとしてそれぞれの地域を変えていく。またそれらの‘民俗(学)者’をつなぐべき異人としてのカタリストも必要であろう。これらの人々をNGOのシャプラニールでは、前者を「土の人」、後者を「風の人」と読んでいる。見事なネーミングだと思う。

 昨今、社会開発や人間開発が叫ばれているが、その足元にあること、そもそも何のための‘開発’なのかを、常に振り返ることが必要であることを改めてここで強調させていただく。また同時に、‘開発’を考えることは、‘途上国’のことを考えるのではなく、‘先進国’のありかた自体、もっといえば、われわれ自身の生き方で問うものであることを繰り返したい。」 柴田英知 「開発の究極目標?制度設計」 (2007年7月22日)

 今、私は、2008年にフィリピン駐在から帰国したのを機に、家庭の事情で開発コンサルタントの職を辞し、親元である愛知県に戻ってきた。転職してマリングッズの専門商社で5年間、通信販売の企画営業としてウェブショップの運営というマーケティングの現場体験を積むと同時に、地元の岡崎市のまちづくりや市民活動に関わって、あらためて‘開発民俗学’の裾野を広げることができたと思う。

 この1992年~2008年の政府開発援助の中での開発コンサルタント経験と、2008年~2013年の民間営利企業でのマーケティング経験は、政策レベルから小売まで、風上から風下までの一貫した開発戦略の実践を図らずも現場で学ばせていただいたともいえよう。

そうした国内外の地域のためにがんばる多くの人たちとの交流は、改めて、「人と人をつなぐことにより、モノと情報が流れる」ということの重要性を裏付けてくれた。

 今、21年間の社会人経験を経て、開発民俗学を創るために、あらためて大学院進学のチャンスを与えてくれた三つの祐について感謝したい。三つの祐(たすけ)とは、天の助け、地の助け、人の助けをいう。海外業務には危険な地域での仕事もあったが、幸い事故や事件に巻き込まれずに仕事を全うできたこと。私を影に日向に助け支えてくれた人々への感謝は言葉に表しきれないが、それでも機をみるには、天の配慮ともいうべき導きがあった。

 ちなみに三祐とは、戦後復興の大きな礎となった愛知県の知多半島部とその先の篠島へと水を運ぶ愛知用水を創った男たちが興した農業土木の専門コンサルタンツである三祐コンサルタンツの社名そのものである。篤農家、久野庄太郎翁を技術面で支えた農業土木技師浜島辰雄先生は、新入社員研修で愛知用水をバスで回りながら、続けてこういう「なぜコンサルタンツか、それは、専門家であるコンサルタントが助け合って協働するから複数形なのだ」と。このとおり、本書には「戦後日本を代表する初の大規模総合開発プロジェクト“愛知用水事業”」に携わったエンジニアたちの熱き心の一端が垣間見られるかもしれない。この素晴らしい先輩、上司、同僚の仲間の全てには感謝しきれないほどの恩恵をいただいていたことに関して、なんらかの恩返しができればと常に考えている。(注2)

 なお、本書は、2013年2月23日に最後のフィールドワークに旅立たれた片倉もとこ先生にささげたい。1990年5月の関西大学で開かれた日本中東学会 第6会 年次大会で初めてお会いしたのをきっかけに、研究会や講演セミナーなどいろいろなところで先生の謦咳にふれさせていただき著書やお話から多くのヒントをいただいた。特に「平の人」と「ホーリスティック」アプローチに関して多大な影響を受けている。この開発民俗学の構想に関して一番、最初に相談いたしたく、また指導をいただけたらとずっと考えていたのだが、それもかなわぬ夢となってしまった。

 まだまだ開発民俗学への途は緒についたばかりである。今まで私を助け叱咤激励そして鞭撻していただいた世界中の多くの仲間に感謝すると共に、何らかの体をなしたときに改めて喜びを分かちあえる日が遠くない将来にくることを願ってやまない。

2013年11月30日

柴田 英知

注1 Giant Steps!(巨人たちの足跡) 2001年2月25日現在

 しばやんが敬愛する『歩く』仲間の大先輩方のコーナーをここに設けました。
 しばやんが、今まで生きてきて本物だと思える仕事をされてきた大先輩に、宮本常一先生、前嶋信次先生そして家島彦一先生がまず挙げられます。

 彼らの代表的な著作や翻訳書を通じて彼らの思索の足跡をたどりつつ、そして、その合わせ鏡として現在の社会を見る眼ということで鶴見良行先生と鎌田慧先生の著作やその仕事を、「歩く仲間」に広く紹介させていただきたいと思います。

宮本 常一(民俗学者) 1907年~1981年
主な業績;
常民の発見、及び民俗学の基本的な課題の探求
『忘れられた日本人』
『宮本常一著作集』

前嶋 信次(アラビア史)1903年~1983年
主な業績;
イスラーム・アラビア史の啓蒙、及び『アラビアンナイト』の日本語初の原典訳

家島 彦一(イスラム史・東西交渉史)1939年~
主な業績;
インド洋交易史の解明、及びイブンバトゥータ『大旅行記』の原典全訳

鶴見 良行(裸足の研究者)1926年~1994年
主な業績;
辺境から中央を見ることによる東南アジア史の解明と海の民の再発見。
『バナナと日本人』、
『ナマコの眼』

鎌田 慧(ルポライター)1938年~
主な業績;
日本の高度成長の裏側を労働者や社会的弱者の立場で告発。
『自動車絶望工場』、
『ぼくが世の中に学んだこと』

 当然、これらの先達にめぐり合うまで多くの先生や、諸先輩、仲間の導きがありました。全ての、『歩く仲間』に深く感謝しております。

Thanks a lot for your suggestions !

注2:括弧の部分は、高崎哲郎 『水の思想土の思想 世紀の大事業 愛知用水』 鹿島出版会 2010 の帯の言葉を引用した。愛知用水事業については、同著を参照されたい。

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2017年6月23日 (金)

チーム 郵便受けあべちゃん2022(世界名ALICE PROJECT) 始動します^^?

みなさん、こんにちは。

いかがお過ごしでしょうか^^?

昨今のニュースをみていると、いろいろ考えさせられるというか憤慨させられることが多くて、正直、黙っていると気が狂いそうです。この行き場のなさをどうすればよいの?ということで、いまさらながらですが、わたしも政治活動をすることにしました。

わたしは新聞もテレビもみていません。でもフェイスブックやウェブサイト、たまにみるテレビニュースでどうしても国内外の情報が入ってくるんですよね。特にフェイスブックでグループとかはいっていると、そのグループに関心のある方がメンバーに都合のよいというかメンバーが喜ぶであろうニュースを引っ張ってきてくれる(シェア)してくれるので、正直、ちょっと偏向した情報が集まってしまって困ってもいます。

しかしながら、そもそも公正で偏向のない情報はないので、偉そうに左右バランスのとれた情報を広く集めて判断しましょうなどというしたり顔の意見に組する気はさらさらありません。自分自身バランスが取れているとは思っていないし、自分なりの見方もあり自分にとってどうでもいいこと以外のことに対しては、自分の意見を意識的に持つようにしています。そんな自分の偏向を棚に上げても、昨今の言論界のディスリの多い一方的な意見ばかりをみたり聞いたりしていると、本当に頭がおかしくなりです。

「ことば」には当然、発するものの意図があり、また逆にその意図とは別に、ことばが独り歩きすることもあるわけですが、今の日本のニュースのことばをみていると、つくづく日本人は議論ができない人たちだなあと思います。

なぜ、そこで個人攻撃や揚げ足取りに走るかなとか、せめて人の話はちゃんと聞こうよとか、今の大人(わたしも含めて)は、学校で一体何を学んできたのかというレベルです。「社会」で学ぶといいたいが、正直、これだけ分断された社会では、まともに議論ができる場はありません。

ということで、今から5年後をめざして、本格的に今の某政治体制を引き受けるに足る言論人(政策提言)集団をつくることにしました。つまり世界のあり方(あえて日本のあり方とはいわない)をきちんとまじめに議論する・議論できる場を確保した上で、世界をリードする「ひらの人たち(by 片倉もとこ)」のネットワークを構築するということです。

チーム名に好きでもない個人名らしきものをいれるのは正直いやです。でもあまりに抽象的でもわけがわからないでしょうし、そういえば東京は赤坂の溜池の交差点の近くに「あべちゃん」という豚ちゃん屋があったよなということでよしとします。

また、わかる人はわかると思いますが、(松田)聖子ちゃんを、このように例えた井上順さんに敬意を表して。

※「郵便受け百恵ちゃん」ですぐに検索できます。とはいえ個人のブログへのリンクですが、ご参考まで。

なお、今後、チームメンバーの募集や活動の詳細などについてはブログとフェイスブック、ツイッターなどでフォローしていきます。

ここまで書いてきて、日本国内向けには、このタイトルはやむなくと思いましたが、世界的に見ればこれってギャグにもならないよなと思いました。英語名は、ありきたりではありますが、アリス(ALICE)プロジェクトとでもしておきましょうか。彼女が紛れ込んだ世界では某大統領もいらっしゃるようですから^^?

関心のある方は、しばやんまで直接メッセージを。

ではでは^^?

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2017年6月 3日 (土)

【歩く仲間通信 20170603】

みなさん、ご無沙汰しております。
いかがお過ごしでしょうか。

新年のご挨拶以来、ほぼ半年がたち、もう6月となってしまいました。本当に、あっという間のことです。

私はといえば、1月はレポートの作成など大学院の後期の授業の後始末でそれなりにがんばっていたのですが、2月3月と授業がなくなったのを機に、一気に気が抜けてしまいアルバイトには行きつつも、修士論文に関しては完全にスランプに陥っておりました。

4月に大学の前期の授業が始まり、修士2年目の研究計画書を4月末に出すという段階になってあわてて自分の怠けぶりをのろってみたり、いや今更、後悔しても仕方がない、できる限りをやるまでと、とにかく緩んだ頭をたたき起こして、なんとか先生や学友らのアドバイスもあり、5月24日の地域づくりユニット内での進捗報告を乗り切りました。

たくさんのコメントをいただきつつも、今年に修論を出せる状態ではないとは判定されなかったようなので、とにかく11月初めのユニット内での修論の初稿の提出を目指してがんばろうという状況にまでメンタル面でも回復しました。

2、3月はプチ引き篭もりをしておりましたが、改めていろいろ相談したり雑談のできる友人というか人との接触の必要さを痛感した次第です。

そんな感じでずいぶん落ち込んではいましたが、そのときに救いというか唯一の気晴らしは、2月18日からロードショートとなった、こちらの映画の鑑賞でした。


実は、昨日(6月2日)、たぶん、見納めだと思って名古屋まで車で、この映画とX Japanのドキュメンタリー映画をはしごでみてきました。


【「残された人びと」の物語とは】

いみじくも、というか二つの映画を、Xからソードアートと続けざまにみて、深夜に1時間ほど車を家まで走らせながら、しみじみと考えていたことは、そうだ、偶然かもしれないが、これらの私の心を揺さぶる物語は、二つとも、「残された人びと」の物語なんだと独りガッテンしていました。

みなさん、今、アラフィフからアラフォーの方々は、まさに直球のドストライクなリアルタイム世代かと思いますが、あの天下?のNHK(日本放送協会)が始めて作ったテレビアニメーションシリーズが宮崎駿監督のルーツの一つといわれる『未来少年コナン』でした。


1978年4月放送開始だそうなので、私が8歳のとき、その後の銀河鉄道999やガンダムの少し前になるのでしょうか。

ともかく何度も再放送されているので名前くらいは聞いたことがあると思います。このアニメの原作が、アレグサンダー=ケイの『残された人びと』なのです。確か私は、小学校か中学生のときに、ジュブナイルとして翻訳されたもの(1974年だそう)を読みました。再刊もの(2001)や新装版(2012)が今でも手に入るそうです。


amazon 新装版 残された人びと


アマゾンのコメントや、たぶん関連のブログとかにも書かれているでしょうが、アニメの原作とはいえ、まったくアニメの内容とは異なるようなハードな内容でして子供心にもかなり重たく、そして記憶に残る内容とタイトルでした。

たぶん、私はこのジュブナイルを読んでから、ずっと40年近く「残された人びと」のことを考えてきたのだと思います。

ちょっと毛色が違うようですが、この記事で取り上げた演劇もまた「残された人びと」の物語です。


【今、「残された人びと」のことを考えるとは、どういうことなのか。】

結局、誰もが生まれたときから、死へのカウントダウンを始めます。誰もが自分がなぜ生まれ、そしていつ死ぬのか、なぜ死ぬのかも知らない。そんな中で不慮の事故や病気、思いもかけない理不尽な非業の死を遂げる人がたくさんいる。

その一人ひとりの想いは、いったいどこへ消えてしまうのだろうと思ったことはないでしょうか。

身近な、あるいは一期一会の人との別れから、われわれは何を感じて考えて、その屍を乗り越えていくのか。

X JapanのYoshikiも、また無数の「痛み」を持ったひとりの人間でありました。実は、2016年にNHKのミュージック番組のSONGSでも、この映画のことが取り上げられ数曲が披露されたわけですが、この映画はすごいです。

誕生日ごとに楽器を買ってもらっていたというクラシックピアノをやっていた呉服屋のボンボンが、10歳のときに父親の自殺に直面し、母親がドラムを買い与えたというYoshiki、クラシックから完全にロックに転向し、ヴィジュアル系の走りといわれたX(のちにX Japan)を結成。確かに同時代人ではありましたが、ほとんど完全にスルーしていました。たまたま松田聖子に楽曲を提供したり、昨年は、紅白歌合戦で楽曲やパフォーマンス(ドラムとピアノ)をみて、なんかすごいくらいにしか思っていなかったのですが、この映画や、何枚かのCDを買って、あらためてそのYoshikiとX Japanの壮絶なストーリーを知った次第。まったくの不明を恥じ入るばかり。

また、ソードアートオンラインという、オンラインゲームの中に閉じ込められた10000人の人たちは、ゲームの中の死イコール現実の死というデスゲームに巻き込まれます。ゲームをクリアできなければ、ずっとゲームの中に閉じ込められたまま。2002年にウェブに書きこまれた小説は、2008年にライトノベルとして小説化、2度のテレビアニメ化の後、舞台の設定とした2024年に、あと7年となった今に、ようやく劇場映画化。

正直、ライトノベルもアニメもまったく知らず、そもそも今、テレビアニメはみていないし、ただただ神田沙也加がユナというARアイドルにゲスト声優として出演しているというだけで、見に行ったのですが、結局、12回くらい劇場に足を運んでしまいました。

子供向けのアニメかと、ちょっと舐めていたわけですが、やはり児童文学やマンガの世界と同じく、クリエーターの人たちは、子供向けではなく、ガチで世界と闘っていました。

今では、ネタバレサイトや素人の解説記事のブログなど、インターネットでいろいろ調べることができるので、ここでは詳しくいいませんが、この劇場版ソードアートオンラインもまた「残された人びと」の物語で、ARアイドルのユナが歌う劇中歌や、Lisaが歌う主題歌も梶浦由紀の曲もまた、見事にSAOの世界観と過去のアニメやライトノベルでのエピソードを踏まえた、ちょっと悲しいけど希望を持たせてくれる、いろいろなことを考えさせてくれる話でした。

結局、何がいいたいのといわれそうですが、この2ヶ月、修論の構想を練り直して、発表させていただいて、いろいろなコメントをいただいて、自分なりに思ったことは、結局、今、自分がやるべきことは「開発民俗学」を創るために一歩でも二歩でも歩みを続けることで、私がサブタイトルに挙げている「われわれの物語」とは、「残された人びと」つまり、今、生きている「われわれ」の物語を創ることに他ならないということです。


非情なようですが、現世に対して悔しい想いを、そして彼らが彼女らが「残していかざるをえなかった人たち=残されたわたしたち=残された人びと」に対して、何を残したかったのだろうか、また現実に何を残したのかを考えつつ、屍を乗り越えていかなくてはならないと決意を新たにしました。

今年は修士論文を控えているので、あまり通常のブログの記事の更新ができません。

でも、フェイスブックでは、いろいろ情報をシェアしたりつぶやいておりますので、また折節にからんできていただけますとさいわいです。

ではでは^^?

おまけ

いろいろ今の政治にも言いたいことがたくさんあるのですが、マインド・ユア・オウン・ビジネスということで、当面は研究に専念します。

2015年から全然更新していませんが、現状は、もっと悪くなっているかな。私が上に述べている「屍」とは何かが具体的に書いてあります。



いわゆるサブカル系の記事。映画や音楽の話題も、いろいろ書きたいことがあるのですが、なかなかアップデートできません。

ただ、「歩きながら考え」てはいます^^?

柴田 英知

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2017年1月 2日 (月)

【歩く仲間通信 20170102】

みなさん、明けましておめでとうございます。

旧年は大変お世話になりました。特に新しくお知り合いになれた方々には、なんとか年度内に感謝だけでもお伝えしたいと思っていたのですが、今年に持ち越してしまいましてごめんなさい。

またなんと20年ぶりくらいに再会できた仲間もいました。改めてご縁に感謝いたします。

今年度も引き続き、よろしくお付き合いいただければと存じます。


もう!昨年のことになってしまうのですが、2016年4月から名古屋市立大学の大学院人間文化研究科に進学したこともあり、いろいろ自分自身の身の回りが大きく変わったこの数年間ではありました。

ようやく大学院生活にも慣れつつあるかと思えば、来年の1月には、すでに修士論文が99%完成していなければならないということで、改めて博士前期課程の2年間の短さを実感しつつある今日この頃でもあります。

5年ほど前に岡崎のある市民グループの方から、「望年会」という言葉を教えていただきまして、「忘年会」ではなくこちらの望年会を積極的に活用して広めようとしているのですが、新しい年を望むにあたってやはり大切なのは(忘れることではなく)、きちんとその年を振り返ることだと思います。以下、勝手に、しばやんとしての昨年の総括と、今年の望みといいましょうか課題を挙げたいと思います。

【2016年の三大ニュース】

その1:大学院進学

傍からご覧になっていても迷走しているかにみえたであろうしばやんのこの数年の歩みですが、ようやく大学院に進学することができました。

名市大の人間文化研究科の中でも「地域づくりに関する研究」ユニットでは、4名の先生方から中国人留学生2名、社会人院生4名が修士一年生として指導を受けています。

2015年12月に起業して個人事業主となったわけですが、今は、コンサルティング業務やウェブショップの運営は実質的に休業状態で、2016年2月から郵便局の時間給契約社員として地方郵便局で夜の5時から9時まで、郵便物やゆうパックの仕分けなど内勤業務をしています。繁忙期は、夜勤のシフトでも午後4時半から午後11時過ぎくらいまでの作業量があります。ガテン系の力仕事ですが、これはこれでなかなか奥が深い。

民俗学者の宮本常一や赤松啓介が郵便局で働いていたことは有名?な話ですが慣れてくると働いている人たちとも仲良くなってきて、それなりに楽しく、大学院の授業がない週の4,5日を働いています。

肝心の研究のほうですが、前期では3科目を、後期は5科目をとっているので、論文指導以外のいわゆる講義科目の規定の9科目は、ほぼ1年目で取得できそうです。

それはよいとしても自分の研究については、なかなか研究方針がまとまらない。焦点がしぼりきれずに先生方からは発表ごとにダメだしを受けていますが、とにかく1月末で後期の講義が終わるので、今から本格的に論文に取り組みます。

その2 山崎延吉との邂逅

これは、たまたまなのですが、愛知用水の研究を進める上で1900年に愛知県立農林学校として設置された安城農林学校(現安城農林高校)の初代校長先生の石川県は金沢藩士の出で、明治に東京大学の駒場の農学校をでた農民教育者であり農本主義者としても知られる山崎延吉を知りえたことはとても大きな収穫でした。昨年の夏休みはほとんど山崎延吉関係のことを調べていたといっても過言ではありません。

彼が、安城農林学校の開設にあたり「農学校を地域に開く」施策をとったこと、篤農家、特に明治末から大正年代にかけてかつての地主階層であった老農ではなく自小作が個人の努力で成り上がった精農とよばれる篤農家や農村青年層を全国組織化したことは、まったく私が大学生時代に気づいた「知は力なり、ただし開かれたものでなくてはならない」ということを遥かに大きなスケールでもう100年も前に実現していたということでした。

しかも自分の家のすぐ隣の「追進農場(現愛知県農業大学校)」自体が山崎の指導下にあったことを知って、まったく自分の足元の不明を恥じ入るばかり。

さらに著作だけではなく請われて日本全国ばかりか帝国下の台湾、朝鮮、満州にまで40年以上にわたり10000回以上の興村行脚(こうそんあんぎゃ)とよばれる講演旅行をおこなったこと、地方にいながらにして(ここがポイント)、地元の愛知県や日本デンマークとよばれた碧海郡の地域振興のみならず、石黒忠篤や那須浩など中央の政治家や農政学者と連携をして、校長を辞した後、帝国農会の幹事や、政治家としても日本の農政に大きな影響を与えたことなど、まさに目からうろこの連続でした。

民俗学者の宮本常一さんも、よく日本を歩いていますが、それよりもすごい人ではないか、しかもどちらかといえば柳田國男と同世代で、当然、農政官僚であった彼とも同じ東大の法学部と農学部で、きわめて近しい関係ではなかったかと、民俗学研究についても想像が膨らみます。(実際、山崎延吉は、柳田國男を安城農林学校に講話の講師として招聘していると資料で見かけたような、要確認ですが。)

その3 開発民俗学の英語訳を考えました

結局、その2とも関連するのですが、日本の民俗学、特に、柳田國男と地域振興についての新しい知見を得ることができました。

柳田國男は農政に挫折して民俗学に転向したわけではなく、農政を突き詰める上で民俗学という戦略をとったのではないか。

そのようなことを感じることができました。当然、愛知用水とは、ちょっとズレル課題ですが、その延長の先にある大きなテーマであると私自身は思っています。

そのようなことを軽く記事にまとめてみました。


【2017年の三つの課題】

その1 修士論文の見通しをつけること

もういわずもがなで、5月のユニット発表の時点で、7、8割方できていないと間に合わないといわれています。11月にはほぼ完成させないといけない。なにはさておき、この1,2月の頑張りが今年ばかりか、今後のすべてに影響するでしょう。

その2 文化環境研究所(Cultural Environment Consulting Institute)(仮称)の設置準備

もちろん修論ありきですが、その後の研究につなげるためにも職業につなげるためにも、稼ぐ母体が必要です。修論にめどがついた時点でコンサルティング業にも力が注げるように、仲間を募ってコンサルティング会社を立ち上げるべく準備を進めます。

その3 まずは健康に日々を心安らかに過ごすこと

最近、普通に心を乱されることなく、つまり落ち着いて自分の能力をだせれば、恐れることはないことに気がつきました。

特に、他人や外部からの動揺させられて怒ったりして自分のペースを崩されると、てきめんにパフォーマンスが落ちるし、さらには通常ではありえない失敗をしてしまうことがあります。

結局、他人がどうであれセルフ・コントロールできれば、すべての結果は自分のせいにすることができます。つまり、人のせいにする必要がないのです。自分が今、出来ることを粛々としていく。他人が何を言おうとです。

また逆に自分で考えてがんばろうとしている人に対しては、全面的にその人の能力を信頼して応援できる自分でありたいと思います。

ひがんだりうらやんだりする必要はないし、人の足をひっぱるようなしらけた人間とつきあう時間も暇もありません。

ただ、そのような社会環境を整えるのにあたって、前提となるのが武力によらない平和な世界の実現です。このことは、常に頭の片隅においておかないといけないと思っています。

最後に、昨年の出会いの大きなハイライトでもあったセミナー企画のご紹介を今年のご挨拶とさせていただきます。修論の進捗次第ではありますが、今年も仲間たちと「地域」に対して仕掛けていきたいです^^?

https://www.facebook.com/events/1188668471192492/


今年もよろしくお願いいたします。

ではでは^^?

2017年1月2日

柴田 英知

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2017年1月 1日 (日)

【2017年のご挨拶】

みなさん、明けましておめでとうございます。

昨年末から今年にかけて、こちら愛知県では穏やかな日々を過ごしております。
取り急ぎ、今年の年賀状をこちらにも披露させていただきますので、よろしくご笑覧ください。
では、今年もよろしくお願いいたします。
2017_1200

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2016年11月 4日 (金)

名市大・学祭企画2016のご案内

みなさん、こんにちわ。ご無沙汰しております。

今年の4月から大学院生になりました柴田です。

名古屋市立大学大学院の人間文化研究科の有志とともに大学祭でセミナーやパネル展示、学外から国内の地域づくりの実務者のゲストスピーカーをお迎えしてのシンポジウムなどを企画いたしました。

また開発コンサルタントおよび国際協力NGOでの実務経験を持つ私の学生さんや関心のある方向けのキャリア相談会も合わせて行います。

ショートノーティスではありますが、来週末の、11月13日(日)に滝子キャンパスに足を運んでいただけましたらさいわいです。

以下、案内文です。最新情報は、リンク先のフェイスブックのイベントページをごらんください。

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日時:2016年11月13日(日)午前10時~午後4時

みなさん、こんにちは。

名古屋市立大学人間文化研究科(大学院)に学ぶ有志が、まちづくりに関するイベントやシンポジウムを企画しました。

みなさまのご来場を心よりお待ちしております。

※2016年11月13日(日)市大祭二日目のみ参加

<終日> (ポスター企画)

■「椎葉村はこんなにスゴいトコ!」パネル展示 
  椎葉美耶子(院生) ※セミナーあり(10:00~10:30)

■「熱田の杜とガールスカウト」 パネル展示 鈴木美香子(院生)

■「‘国際開発と地域づくりを考える’情報フェア&キャリア相談会」 
 パネル、書籍紹介、なんでも相談承り 柴田英知(院生)
 ※セミナーあり (10:45~11:15)

<午前の部>  (セミナー企画)

■10:00~10:30 
「椎葉村はこんなにスゴいトコ!」 椎葉美耶子(院生)

 柳田國男の民俗学の誕生のきっかけとなった宮崎県の秘境・椎葉村の訪問記。写真と現地でのちょっといい話をシェアします。

■10:45~11:15
「しばやんの世界のあっちこっちめぐり!フォト&ミュージックサロン」 柴田英知(院生)

 政府開発援助(ODA)の現場として訪れた中近東、アフリカ、アジアの田舎を写真と現地の音楽でざっくばらんに語ります。

■ 11:30~12:00
「豊明おやこ劇場、観察日誌。?舞台芸術と子育て?」 柘植みのり(院生)

 シンポジウムでも取り上げられるおやこ劇場について、自身の経験と学術的な視点から読み解きます。

<午後の部> (ゲストを招いての公開シンポジウム)

■13:30~15:30 


“地域”と“わたし”のちょっといい関係、一緒に考えてみませんか?

詳しくはこちらのフェイスブックのイベントページをチェック!

<第1部 わたしたちの実践報告>

第1幕: 桜山に住んでみた!わたしの地元デビュー!
   「まちプロデュース」の巻

講師: 山本はるかさん、椎葉美耶子(院生)
所属: まちプロデュース (名古屋市)
 

第2幕: 砂ぼこりの公園を芝生にしちゃいました!
   「籠田公園・商店街活性化」の巻

講師: 天野めぐみさん
所属: 篭田商店街振興会長 (岡崎市)
     ※天野さんの活動についてのインタビュー記事はこちら!

第3幕: 語りあう子育てのつながりを地域に!
   「おやこ劇場」の巻

講師: 広中省子さん 
所属: 子ども・おやこ劇場東海連絡会副運営委員長(長久手市)
     長久手おやこ劇場 

第4幕: ひとりひとりの想いを大切にできる社会に!
    行政と市民の「つなぎすと」の巻

講師: 菅原純子さん
所属: こころざし研究所代表、博士(学術)(豊田市)

幕間(10分): 休憩 & アンケート回収

<第2部 パネルディスカッション>

総評: 地域づくりを可能とする仕掛けを考える
    「第三舞台とチェンジエージェント論」

講師・ファシリテーター: 柴田英知(院生)

全体討議: パネラー&フロアで一緒に考える
      「地域とわたしのちょっといい関係」
 参加者の全員がメンバーです!

資料代: 500円

会場: 名古屋市立大学滝子(山の畑)キャンパス 
    第2号館 401号室

■会場へのアクセスマップはこちら

主催:地域とつながりタイ!
(院生有志:柴田英知、椎葉美耶子、鈴木美香子、柘植みのり)


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2016年4月 7日 (木)

【2016年度に思うこと】


みなさん、こんにちは。

先日は、4月1日の誕生日にたくさんのお祝いメッセージをフェイスブック上で寄せていただきありがとうございます。

そもそも、自分の誕生日って誰彼に話すものでもないので今まではこんなことはなかったのですが、FBという仕組みの良しあしといったところでしょうか。いちおう説明しておきますと、昭和45年4月1日は、早生まれの一番最後なので戌年の学年の最初ではなく鳥の学年の一番最後になります。

ともあれ、日本の年度始まりの日で、しかも1970年生まれですから年を数えるのはとても便利です。ってなにが^^?

さて、平成28年度(2016年度)は、大学院生として改めてのスタートを切ります。この一年、アジア保健研修所を離れていろいろ試行錯誤してきましたが、結局、今まで自分がやってきたことを改めて振り返り今後につなげていこうと思っています。

まずは、明日が、入学式。自分の甥や姪と同学年の学部生と一緒に入学式というのもまた一興です。

ちなみに、大学院は、人間文化研究科(Graduate Programs in Humanities and Social Sciences)の地域づくりグループで4名の教員と6名の院生(日本人の社会人4名+2名の中国人留学生、しかも全員M1)のこじんまりとしたところですが、他の研究科の先生と地の利を生かして研究に励もうと思います。
ではでは^^?

おまけ:

2016年の年賀状。ご住所を知っている方には郵送させていただきましたが、ウェブでは初公開になります。
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名市大の滝子キャンパス。こちらには、人文社会学部と経済学部が、別の場所に、医学部/看護学部、薬学部、経済学部、芸術工学部があります。つまり4つのキャンパスがあり、それぞれ学祭があるそうです。ちなみに、人文社会/経済学部のキャンパスは、八校の跡地に当たるそうです。
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2016年1月20日 (水)

【研究者であるということ】


【研究者であるということ】

久しぶりにモノローグを書きます。

昨年10月に独立開業したわけですが、ひとつの事業のウェブでの小売について、ウェブサイトが完成しておりません。時間の問題や、他にもやることがとか、余計な言い訳はしますまい。基本自分の時間配分で何事にでも取り組めるわけないので、ようは、やる気と自分の中での優先順位の問題です。

ただ、自分の頭の中の整理のためになぜ、素直?にウェブ整備に取り組んでいないかを列挙してみますね。

ーウェブ全体としての展開方針に迷いがある。
ー作業として単純に面倒くさい。
ー↑フォーマットが固まっていないので流し作業にできない。

要は、コンテンツの位置づけに迷っているのが一番の根っこにあります。もっとさかのぼると、そもそも小売りだけで糊口をしのげるであろうか?本屋やCDステレオ屋のおっさんでいいのというところに行きつきます。

今は、大学院入試(2月5日に筆記試験と口述試験)の準備があり、そちらが決まらないことには落ち着かない。それもさりなん、そもそも博士前期課程(修士)をとった時点で、どれほど自立した研究者としてみなされるのか。果たして後期課程(博士課程)に進めるのかとか、いくらでも不安は尽きないわけです。未来のこれからのことで、運も実力のうちという言葉もあるように、努力がそのまま実績や結果につながるわけではありません。

そんななかで、果たして自分の生業として何が本来業務であろうと、まあ20歳の大学生ではないわけですが、答えのない問題に迷い込むわけです^^?

という葛藤を経ての、今での結論。

やはり自分は、「国際開発コンサルタント」、「地域活き生きコーディネーター」という名刺の業務案内の一番上に書いてあるところで勝負したいと思います。

「研究」は何のためにするのか。これは、「開発民俗学」の理論と実践を深めるためのものであり、博士号は「開発民俗学」的思考と方法論の‘ひとつのとりまとめ’の一過程であり、それが夢でも目標でもありません。要は、実践のための理論であり、研究そのものが目的(の研究)ではありません。

以上に鑑み、来月からアルバイトと、2017年の取得を目指して、「中小企業診断士」の国家資格の取得のための専門学校に通います。

自分としては、参加型開発にかかるワークショップやファシリテーションなど、スキルとしてすぐに売れるものがないわけでもないと思います。でも、結局、部分の技術ではなく、そのスキルを通じて、顧客に商品(=お金を払ってでも買いたい)として売りたいものは、そもそも、その先にある問題や課題についてのソリューション(解決)であり、そこまで踏み込んだ提言をするには、今の自分ではあまりに力不足です。

私は、確かに若者への教育という仕事に興味がないわけではありません。しかし、研究者になるための修行をこれから5年、10年と続けるためにもは、修士という学位だけでは不十分で(そのままストレートに続けるにしても)お金という自分の生活や人生を下支えする食い扶持の確保が絶対に必要で、それは本やCDの小売も一つの手段ではありますが、それだけでは不十分であると思います。

ということで、自分を納得させつつ、日々に立ち向かっていきたいと思います。

ではでは^^?

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